ホテルにて

「初めまして。柊です」

「あっ、どうもこんにちは八城弘子(やしろ・ひろこ)です。宜しく」

木曜の6時以降なら時間があるとの連絡を受け、銀座の喫茶店で彼女と落ち合うことになっていた。ショートカットのよく似合う綺麗な人で、落ち着いた茶色のスーツがとってもかっこよく、いかにも仕事が出来るという様な容姿だった。

「今日は済みません、お忙しいのに時間を作っていただいて。」

「あら、いいのよ。今日はどうせこっちに来る用事があったから。竹内さんからある程度お話は聞きましたけれど、ホテルでの仕事に興味があるんですって?」

声もしっかりしていて彼女の生活の充実ぶりが伺えた。

「はい。でもただ呆然とホテルで働いてみたいなと思っている感じなんですが、”ホテル”と一言でいっても、いったいどんな仕事があって、どういう能力が必要とされているのかなど、分からないことがたくさんありすぎて、何から始めていいのか分からないんです。それで修...竹内さんから八城さんの事をお聞きして、是非色々と教えていただきたいと思いまして」

「そうねー、当たり前だけど、ホテルの中には驚くほど色々な人達がいて、その人達が集まってはじめて一つのホテルとして機能するの。だからホテルで働きたいと言っても、まず自分がどういう事をしたいのかある程度目標というか希望みたいな物を持っていた方がいいかもね。でもまあ、一度ホテルに入ると最初はだいたい事をやらされるのが普通だから。やっぱりすべてのことを知らないと、全体のことを考えて物事を処理できないし、イザって時に困るのは自分だからね。何かホテルでこれをやってみたいって言う物はあるの?」

「特に”これ”って言うのはないんですけれども、人と接していたいからフロントとか興味ありますね」

「へー、フロントね。毎日たくさんのお客様が来られるから、そういうのが好きだったら楽しいんじゃないかしら。何か今までに接客業とかやられた事あるの?確か商社じゃなかったかしら、今のお仕事」

「はい。学生の時に色々アルバイトして、結構接客業が一番長続きしてたんですよ。それで今の会社に入ってから、コンピューターばかり触っていて、やっぱり自分は人と接している方が好きだな、と思っているんです」

「あらそう。まあなんだかんだ言ってもホテルは客商売だからね、そういうのはホテルで働くには大切な事だと思うわよ」

彼女は運ばれてきたばっかりのコーヒーを飲みながら私を見て、優しく微笑んでそう言った。彼女の性格なのか、こういう仕事をしているからなのかわからないけれど、とにかく話していると妙に落ち着いてくるから不思議である。来た時はちょっと緊張していた私も、すっかりリラックスしてしまった。これも一種の才能なんだろうなと感心しながら彼女を眺めていた。

「何か特にこれだけは出来た方がいい事とか、これが出来ないと難しいとかって言うのはありますか?」

「そうねー、私個人の意見としては、人の話をきちんと聞くことが一番大切なんじゃないかな?って思うわ。これって結構できない人が最近多いから。話を全部聞き終わる前に、相手が何を言いたいのか予測して質問に答えちゃうのよね。それがあっていればいいけれど、間違っていたら相手にとっては腹が立つだろうからね、そういう事されると。あとは...あっ、やっぱりホテルだと、外国から来られるお客様が多いから、英語が丁寧に話せると有利なのは確かね。特にフロントなんかをやろうと思っているのなら英語は必要ね。」

「英語ってどのくらい必要なんですか?」

私はちょっと不安になった。英語自体は好きなんだけれど、喋るとなるとからっきしダメだったからだ。いつも英語がペラペラに話せるとどんなにいいだろうと憧れていて、英会話学校にも何回かは通ったけれど、結局上手くなれずに長続きしなかった。

「うーん、上手いに越したことはないんだけど、会話の実用レベルって感じかな?簡単な受け答えとかホテルやホテルの周りの地理なんかを説明できる程度ぐらいは出来ないとね。でも一番大切なのは相手が言っている事に対して、いかに丁寧にわかりやすく説明できるかどうかじゃないかしら。それは英語でも日本語でも一緒だと思うわ」

私はなるほど、そうなのかなどと思いながら相槌を打って聞いていた。

「それに最近は海外の学校に行っていた人達がホテルに就職するケースが増えてきているから、英語もダメ、経験もない、となるとホテルでの就職は結構大変かもよ、脅かす訳じゃないけど」

それから30分ぐらいホテルでの出来事や苦労話、彼女がホテルに就職するまでの経歴などを話してくれた。

「今日は本当にありがとうございました」

「いーえ。お役に立てたかしら」

「はい、貴重な現場からの意見や状況などを聞くことが出来て、大変役に立ちました。ただ、やっぱり”このままじゃいけないな”って痛感させられちゃいましたけど...」

「あら、そう?あなたまだ若いんだし、まだまだこれからよ。女が社会でやっていくのは大変だけど、お互い頑張りましうよ。」

「はい。あっ、後一つだけお聞きしていいですか?」

「勿論、何かしら?」

「失礼ですけれど、結婚とか年齢とか気にならないんですか?」

「えっ?...あなたは気になるの?」

「まあ、もうすぐ25歳だし、そろそろ結婚する友達も増えて来ちゃって...」「美樹さんは、早く結婚したいの?」

「いえ、まだ結婚とかは考えていないんですけど、周りからは色々と言われ始めたし、周りに流されるのって嫌なんですけど、それが普通なのかなって...。八城さんみたいな27、8歳って言ったら世間一般で言う適齢期じゃないですか。あっ、ごめんなさい。私何言っているんだろう。忘れてください」

「いいのよ。私も色々周りに言われているから、もう慣れてるわ。でもね、結局騒いでいるのは周りだけなのよ。当の本人はあまり気にしていないものよ。あなただってそうじゃない?」

「はあ...」

「第一、結婚相手なんて、探して見つかるもんじゃないと思うわよ。その時と相手が来ればそうすればいいって感じかな、私は。今は私の好きなことを思いっきりやりたいわ」